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MVアグスタ(MV AGUSTA)

ここでご紹介するのは、「MVアグスタ(MV AGUSTA)」です。
オートバイにおいてのフェラーリと言ってもいい存在の「MVアグスタ」は、その走りはもちろん、性能、所有欲、全てを満たしてくれる存在ではないでしょうか。
市場してみられると、バイクライフが過言ではありません。

MVアグスタ(MV AGUSTA)のバイクメーカーとしてのスタートと歴史

そんなMVアグスタのスタートは、イタリア航空業界から航空機製造中心の会社「AGUSTA」としてスタートしました。
ただし、1945年以降、戦後イタリアが敗戦国となった影響で、イタリアは航空機生産が不可能となりました。
それによりAGUSTA社は、今後バイク、モーターサイクルが人々の「足」になることを予想し、「MV AGUSTA」を設立しました。

ちなみにMは工業を意味するMeccanica、Vは地名であるVergheraを表しています。
1945年にツーリングモデルとしてモーターサイクルの販売をスタートさせると同時に、様々な耐久レースに参戦し、表彰台を独占しました。
それにより会社の知名度も上がり、発足して5年と経たないうちにイタリア国内で他のオートバイメーカーと変わらぬ知名度と評価を得ました。

50年代にはスポーツモデル「Motore Lungo」や125ccモデル「PULLMAN」など、様々な人気モデルが発表され、盛況するオートバイ市場の中でも人気、技術、売れ行き、顧客満足度など、様々な面で目立つオートバイブランドとなっていました。

60年代に入り、モーターサイクル、オートバイ市場は縮小の傾向にありましたが、その中でもMV AGUSTAは当時220km/hを叩き出した「750 S America」など、様々なモデルを開発、販売しました。
その当時は日本のバイクメーカーもグランプリに参入し始めた頃でしたが、世界初、60年代後半における3気筒4気筒によるMV AGUSTAの4ストロークマシンと「ジャゴモ・アゴスティーニ」というライダーの活躍などにより、最終的には「GPタイトル37個」「優勝回数通産3027回」というとてつもない記録を達成します。
これは、他社による追随を許さない技術力と発想の高さによるものでしょう。

ただし、70年代からはMV AGUSTA社において苦難の時期となります。
経営が上手く行かず、効率的な経営を行うために、「生産モデルを限定し、効率的な生産と販売を行う」「レース活動を縮小する」という方針に統一されました。

ちなみにこの時期のモデルラインナップは、750cc「グランツーリズモ」「SPORTS」のみ、350cc「SEL」「GTEL」「スクランブラー」のみとなっています。
70年代後半からはレースにおいても日本メーカーの躍進等(ちなみにジャゴモ・アゴスティーニはヤマハに移籍していて、期限付きでMV AGUSTAに戻りました)により、それまでの輝かしい記録とは裏腹に勝利が難しくなり、1977年、レース活動を終えました。
同時に、77年にオートバイ生産を終え、オートバイ市場から撤退しました。

MVアグスタ(MV AGUSTA)再始動

それ以降、次にMVアグスタがオートバイブランドとして再始動するまで、20年が経過しました。
MVアグスタが誇っていた「高性能の市販車」を再現するために、イタリアのバイクメーカー「カジバ」がブランドを復活させ、99年にエンジン開発にフェラーリが参加、印象的かつMVアグスタの伝統である「赤/銀」「高性能4気筒エンジン」をコンセプトとした「F4シリーズ」にてブランドがリスタートします。

ただし、それ以降もMVアグスタは「プロトン」「伊GEVI社」「ハーレーダビッドソン」といった様々な会社に買収されています。
そして今現在はカジバにまた経営されることになりました。
今現在のMVアグスタは、再始動のコンセプトどおり「高性能の市販車」がメインのラインナップです。

走りの性能はもちろん、高級感あふれるデザイン、乗り心地、印象的なエンブレムは「オートバイのフェラーリ」と言っていいほどの芸術性を持っています。
バイク好きの方は、一度は所有してみたいメーカーではないでしょうか。